盛岡りんごのはじまり|盛岡りんごとあなたをつなぐ物語




りんごに詳しい元研究者。
今はりんご農家で、早生のりんご「ちなつ」の生みの親でもある副島さん。
そんなすごい人に話を聞けることになった私は、副島さんのりんご園を訪問するその日になって、今さらだけど緊張してきた。

産直でちなつというりんごがあることを知ってテンション上がっちゃったけど、冷静になってみれば、ちなつどころか、そもそもりんごのことをよく知らないままで会いに行っても大丈夫かな。

いちばん知りたいのは、ちなつで美味しいアップルパイをつくれるのか、ってことだけど。
だけど、それだけじゃなくてもっと盛岡のりんごのことを知りたくなった。

副島さんのりんご園へ出かけるその前に……。
足を運んだのは、盛岡市の中心部から車で約10分、住宅地の一画にある「茶畑児童公園」。

お目当てのものは、この立派な石碑。
りんごに興味を持った私は、スマホで盛岡とりんごのことをたくさん調べて、歴史にもほんの少し詳しくなった。

芳香百年の碑 盛岡りんごのはじまり

盛岡りんご栽培発祥の地

「芳香百年」と大きく彫られたこの碑は、1872(明治5)年(1873年との説もある)に岩手県で初めてのりんご栽培がこの付近で行われたことを記念して、それからちょうど100年目の1972(昭和46)年に建てられたもの。

明治初頭、旧盛岡藩士の古澤林(ふるさわ はやし)という人物が、このすぐ近くにある盛岡市立中野小学校の校庭のあたりに16本の苗木を植えたのが、盛岡のりんご栽培の始まりなんだとか。

古澤は上京した折に、西洋から入ってきたりんごを初めて食べ、郷里盛岡での栽培を思い立ったと言われている。

同じ年には、元藩士の横浜慶行も盛岡市内でりんごの苗木の栽培を始めていて、古澤と横浜、この2名は、盛岡、もっと言うと岩手のりんご栽培の祖と言うべき存在らしい。

 

明治初頭、武士を救ったりんご

それまで日本に流通していたのは、小さくて酸味の強い和りんごだったから、2人はきっと西洋りんごの美味しさに驚いたことだろう。

そして、西洋りんごの原産地が中央アジアの寒冷地帯だと知って、寒さの厳しい郷里の盛岡でも栽培できるのではないかと考えた。

廃藩置県により身分を失った武士たちの収入確保が大きな課題だった当時、さまざまな方策を模索する中で一筋の光となったのがりんごの栽培という道だった。

それから4年後の1876(明治9)年の明治天皇岩手巡幸の際には、盛岡で栽培された「横浜早生(わせ)」というりんごが天覧に供されたという資料が残っていて、すでに収穫できていたらしい。

古澤はその後、東京で1個25銭(現在の2万5000円相当)でりんごを販売したという記録もあり、すごく貴重なものだったことが分かる。

 

日本での始まりは北海道?

岩手では1872(明治5)年に始まった西洋りんごの栽培。日本で、いつどこで始まったんだろう。

疑問に思って調べてみると、岩手での栽培開始からさかのぼること3年前、1869(明治2)年に北海道七飯町でプロイセン(今のドイツ)から来日した貿易商が大規模な開拓に着手し、ほかのさまざまな果実の苗木とともに西洋りんごも植えたのが最初と言われてるそう。(別の説もあり)

また、明治期に本格的な栽培が始まる以前の江戸時代にも、福井藩主の松平慶永がアメリカから入手した苗木を江戸の別邸に植えたというエピソードも残っている。

現在、生産量第1位の青森では1875(明治8)年、第2位の長野県では1874(明治7)年から、相次いで栽培が始まった。

江戸時代までの日本では「果樹栽培はお金にならない」という常識があったそうで、社会の近代化とともに食生活も変化し、りんご栽培も主要な産業のひとつとして浸透していった。

本州ではもっとも早く本格的な栽培がスタートした盛岡のりんご。
その発祥の地に立つと、今日までの150年のあいだに生産者や研究者、たくさんの人たちの努力や苦労があったからこそ、私たちはさまざまな種類のりんごを食べることができるんだという感謝の気持ちが湧き、盛岡りんごへの思いがさらに熱くなってきた。

 

盛岡の北上川東岸はりんごの名産地

盛岡りんごの始まりを確認したところで、約10kmほど南下して、副島さんのりんご園へ。
石碑の立つ発祥の地・中野地区も、りんご園のある乙部地区も、北上川の東岸という共通点がある。

北上川に沿って国道396号線を南下していくと、左手(東側)にはゆるやかな丘が広がる風景が。
その斜面に並ぶ小ぶりな木がりんごの木だということを知ったのはいつだっただろう。

りんごの木は5月の大型連休のころになると白い花が開き始め、秋になると実を付け始める。
その様子は、季節を教えてくれる風物詩。

この北上川東側の斜面の一画に、副島さんのりんご園があるはず。
教えてもらった住所を手掛かりに、車のナビを頼りになだらかな登り坂を上がっていくと、整然とりんごの木が並ぶ畑にたどり着いた。



車の音に気が付いて向こうのほうから歩いてきた男性こそ、副島さんその人だった。
盛岡やつくばなどでの40年近い研究者生活を経てりんご農家の道を歩むことを決めた副島さんは、「北上川東岸のこの地域は、日照時間が長くて水はけもよく、土壌もりんごに適しているんです」とここでりんごを育てる理由を教えてくれた。

盛岡は、降雪量が多すぎず、適度な寒暖の差があることから、りんごを育てるのに向いている。
九州出身の副島さんは、自分の手で自分が美味しいと思うりんごを栽培したいという思いから、長年りんごの研究に勤しんだ盛岡の中でもこの地域で土地を探し、1人でりんご園をスタートさせた。

 

岩手のりんごは多品種、高品質

副島さんの案内で園地を歩く。
りんごと聞いて誰もが聞いたことのある「ふじ」「ジョナゴールド」など有名な品種も含めて、1人で20種類以上のりんごを栽培しているという。
そういえば、りんごにどのくらいの種類があるかなんて考えたことなかったな。

「私の勤めていた研究所には2000種類のりんごの木があります」と副島さん。

2000種類?! そんなにたくさん!

「全国の産地の中でも、岩手にはたくさんの種類のりんごがあり、りんごの品質では全国一です」と誇らしげだ。
そう言われると、岩手出身の私もなんだかうれしくなってくる。




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